先日、ウブ的成長の記録①
(記事はこちら) にて、
相変わらずの親バカっぷりを全開にしたわたくしですが、
本日は純くんの幼少期を、
これまた親バカMAXで、ご披露したいと思います。
まず、純くんが生まれたのは2004年5月5日。
血統書では、5月4日なんだけど、
これはいちばん最初の子が、日付が変わる少し前に出てきたからで、
純が生まれたのは、日付が変わった5日だったのでした。
7頭(だったよな?)兄弟…といっても、
男の子は純1頭。
生まれた時からハーレムだった王子は、
直後に私が譲り受けを希望していて、
もう、名前まで決めていた。

この「純」という名前。
ウブが「うぶ=純真、純情、無垢」なだけに、
2頭目も、是非清らかなネーミングを、と考えていて、
これは♂を飼ったら「純」だな、
と、以前から温めていたものなのだ。

こうして母犬のもとで、大切に育てられ、
すくすく育っていった純王子。
小さい時は、プクプクに太っていて、鈍くさくて、
「あー、このこはちょっと運動神経が鈍いかもなー」
なんて思っていた。
まあ、ただでさえ怪獣のようなラブラドールのパピー。
特に♂は、ちょっとくらい鈍い方が、
扱いやすいし、かわいーよなーなんて、
ポテポテ動く純を見て微笑んでいたものだった。

ところが、だ。
活発に飛び跳ねる女の子の兄弟たちの中で、
いたってマイペースな純の姿は、
生後45日頃、我が家にやってきてから豹変する……。

そーか、そーか。じゅんくんはつおいねー


そーだ、そーだ。こんにゃろーっっ


そ、そうなんだ…。じゅんくん、大人だね……

とまあ、ウブの数十倍のパワーを発揮して、
「これが、ラブラドールのこいぬってもんだ。良く見とけ」
と言わんばかりの怪獣と化していったのでした…。
凄かったのは、「夜鳴き」。
ウブは、2日くらいでサークルに入れても鳴かなくなったのに、
純は、もう、己の意思が通るまで、鳴き続ける。
しかも、尋常じゃない鳴き声。
叱ろうが、無視しようが、
声が枯れるまで「オレを出せ」と、訴え続ける。
こんなちっちゃい頃から、「不屈の闘将」振りを発揮していたわけだ。
いや~、凄かった……(汗)。
しかも、そんなに人に執着もしなかったし。
この当時は、
まさかこんなにマザコン男子になるとは思えなかったなー。
どうなることやら、と途方に暮れたもんだ。
そして、
純が来て一週間後、初代我が家愛犬、シーズーのぺぺが亡くなった。

享年、13歳。
以前少しだけ紹介したけど、
心臓に持病があって、この前の年には
「もう3年とか、そういう単位で生きることはできない」
と言われていたものの、
前の日まで元気に散歩に行って、
亡くなる直前まで、明日ぺぺが生きていないなんて夢にも思わぬ、
突然の出来事だった。
このとき初めて、飼い犬の死を経験したわけで、
この当時は、ウブでも、純でも、当然だけど代わりにならず、
ひたすら泣いていたなー。
何頭も飼っていれば、悲しみが少なくなる、というのはウソだ。
そのときしみじみ思ったものだった。
正直、純を迎え入れたことを、ちょっぴり後悔したけれど、
この隙間を埋めたのは、まぎれもなく純だった。
このブラックデビルと化した子犬は、
癒す、というより、
ひたすら私たちに、センチメンタルになることを許さなかった。
ぺぺのリードや服を見て、「ぺぺ~(T T)」と涙があふれば、
その背後で、ドッシャンガラガラ。
半ベソをかくまもなく「コラーっっ

!!」
ぺぺの写真を見て「ぺぺ~」と切なくなれば、
下から「ちょっときてー!!純がー!!!」と母の絶叫。
今思えば、このおかげで、私たちは
迫りくる後悔に打ちひしがれることなく、
気がつけば、ぺぺの死を受け止めていたのでした。
特に母は、日中この純の大騒ぎに、
どれだけ気持ちが紛れていたか知れないだろう。
そんな出来事もありながら、このとんでもないちびラブに、
私の親ばか魂はますます増大していったのでした。
つづく。
ふ~ん、大変だったのね…。
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